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マスコミ青山会総会2020 山賀琴子さん × 中村麻美さん Special Interview -Part1
2020年1月25日

マスコミ青山会HPリニューアル後、記念すべき第1回目のインタビューゲストは、ミス青山2015グランプリで女優・モデル・YouTuberとマルチに活躍中の山賀琴子さんと、同じくミス青山2015ファイナリストで現在はアパレルブランドのディレクターとして活躍中の中村麻美さんです。

お二人には「これからの時代のキャリア」をテーマに、学生時代から現在のお仕事に至るまでをお話しいただきました。


―それではお二人の自己紹介からお願いします!

山賀さん:

私は2015年のミス青山コンテストに出場して、グランプリ受賞をきっかけに芸能界へ入り、女優としてのキャリアを始めました。2年半女優として活動した後、所属事務所を退社しまして、2019年1月に「株式会社COTOCOTO」という会社を設立しました。現在は「ENELSIA」というアクセサリーブランドを立ち上げて、クリエイティブディレクターをしています。

中村さん:

私も(山賀)琴子さんと同じく2015年のミス青山コンテストに出場し、大学を卒業後、一般企業にて、1年3ヶ月ほど働いていました。その後、独立して現在は「CACHEC」というアパレルブランドのクリエイティブディレクターをしています。

YamagaKotoko
山賀琴子さん

NakamuraMami
中村麻美さん

―まずはお二人が現役の青学生だった頃、どんな学生だったのかを教えてください!

山賀さん:

実は、ミスコンに出たことで華やかなイメージを持たれがちなんですけど、実際そんなこと全然なくて。どちらかというと華がない学生だったなと今でも思います(笑)

―本当ですか?(笑)

山賀さん:

いやいや、本当なんですよ(笑) サークルも大学1年生の時に入ってすぐに辞めてしまったので、ただただ大学に行って、授業を受けるっていう平凡な毎日を過ごしていて。そんな中で、「ミスコンに出てみないか」と話をいただいて、やっと大学生活の中で、自信をもって何かをしていたと言えたくらいで。ミスコンに出ていたこと以外は本当に普通の大学生でした。

当時、大学の17号館が新しくできて食堂がとても広くなったんですけど、中央の席にいる人たちは華やか、端っこの人たちは地味な印象で、私自身も端っこにいるタイプでした。ミスコンに出たというだけで華やかだと思われるんですけど、実際ミスコンの時もずっと端の方にいたので、今も中身は変わらないのかなと思います。

―意外な一面かもしれませんね。ミスコンに出場する前は、本当に普通の大学生だったということですね。

山賀さん:

そうですね。大学1~2年生の頃は将来の目標も決まっていなかったですし、自分は何のために勉強しているのか分からないなと、何事にもやりがいが感じられないなという時期もありました。

中村さん:

私も4年生で就職活動を始めた頃は、これを目指したいという目標が正直なくて。ただ大学は出たから、企業に就職しなきゃいけないという考えの下で動いていました。親のためにも就職しなきゃという意味で、一生懸命に就職活動しました。その頃はまだ自分が本当にやりたい事を考えて行動できていなかったなと思います。

―その気持ちがどのように変化していったのですか?

山賀さん:

ミスコンに出たのが3年生、その時にグランプリをいただいて芸能界に入りましたが、時代の波に乗れたっていうのがすごくあって。当時、Instagramを更新していたんですね。Twitterを使ったり、自己発信するのが好きだったので、ファンと言ってくださる方々にリプライを毎日書いていました。

SNSの流れが乗ってきた時代だったので、そういう時代の流れが背中を押してくれたこともあり、グランプリを取れたのだと思います。普通に出ているだけだったら、グランプリを取れているかどうか分からなかったです。その後に「芸能界はどう?」とお誘いがあり、「ちょっとやってみたい!」と、そのちょっとの気持ちを大事にしようと思って、興味もあったので「やります!」と返事をして芸能活動に打ち込みました。

―山賀さんは独立する以前、芸能界でご活躍されていましたが、芸能界はどういうところだったのでしょうか?

山賀さん:

私は2年半しかいなかったですが、所属事務所は本当に素晴らしい事務所で、すごく真面目なところでした。私自身入る前は、派手なイメージがあったんですけど、実際そんなことは全くなかったです。ただやっぱりルールはたくさんありました。例えば、役が繋がらないので髪を切らないでください、痩せてくださいとか。演技など全く経験がない中で、刺激的な毎日でした。

レッスンを受けるのは楽しいし、ドラマに出れて嬉しいし。でもドラマに出た自分を見て、自分は演技が下手だなって思ったし、すごく心がカツカツになってしまって、そういう悪循環に入ると次の現場に行った時にプレッシャーに感じてしまって、少ししんどいなと思う時期もありました。それでも楽しいことが多かったし、やりがいはすごくありました。

ただやっていく中で漠然と自分の幸せがこういうライフスタイルでいいのかなって思うことがあって。芸能人として売れたり、有名になっていく中で得られる幸せというのが自分にとっての幸せなのか?っていうのが疑問に思ってしまって。それが全てじゃないなと思ったのがきっかけで独立するか転職しようと思いました。

YamagaKotoko
山賀琴子さん

―自分が有名になるかもしれない過程で勇気を振り絞って次に進んだということですね。

山賀さん:

その時は、自分の中でこれじゃないだろうと直感的に思うことが大きかったので、もったいないとかそういう気持ちよりも、辞めたあとにまた新しい仕事や新しい人生を歩んで、自分は何をしてどんな人生を歩んでいくんだろう、好きなことができるんじゃないかなと思うワクワク感とか、ドキドキ感とかポジティブな面が強かったです。

―とても難しい決断だったのだろうなと思います。一方で中村さんは企業に勤務していたと思いますが、現在のお仕事に至るまでどういう過程があったのですか?

中村さん:

大学4年生の時に一般企業の内定をいただいて、卒業から最初の2~3年はその会社で働きました。その頃から独立してアパレル関係の仕事をしたいなと、なんとなく思っていたんです。環境的には恵まれていて、とても良い雰囲気で働くことができていたのですが、自分で動いて何かを見つけていきたいとか、もっと自分発信で仕事がしたいなと強く思うようになっていきました。

アパレルやファッションが好きということもあり、そういう仕事につきたいなと思っていたんです。それで入社してから1年後に、アパレルブランドを運営している会社がブランドディレクターを決めるコンテストを開催していて、出てほしいと知り合いから声をかけていただいて、自分が求めていたのはこれかもしれないと思い応募しました。書類審査から始まり、どういう服のブランドを作りたいかなどプレゼンテーションをし、グランプリをいただきまして、「CACHEC」というブランドのディレクターになりました。

―すごいですね。そういうお声がかかるまでの過程で、自らSNSなどで発信をされていたんですか?

中村さん:

私自身はInstagramを学生の頃からやっていて、OL時代もアパレルの仕事に就くために、オフィスコーデを載せたり、休日のコーディネートなどをInstagramにアップするようにしました。そういった投稿を見てくださっている方も徐々に増えていったので、発信は続けていた中でInstagramの代理店の方からお話をいただいたという形です。

NakamuraMami
中村麻美さん

―今の時代、自分がやりたいことが手軽に発信できるし、自ら発信することによって、それを引き寄せられるというのが大いにあるということですね。

山賀さん:

そうですね。SNSがバズることで、今まで誰も知らなかったような人がいきなり一晩で有名になったりするし、発信力や拡散力がすごいじゃないですか。だから発信を続けていくことが、フォロワーが増えることに繋がって、それだけで事業になるわけで。今まで自分じゃダメだとか、自分はできないと思っている事でも、誰でもできる可能性があるっていうのが良いところかなと思います。

(Part2はこちら)